タイ北部ミャンマー国境での想い <首長族の村を訪ねて>

カオル


プロローグ

東南アジアや中国を中心に、アジア地域には多くの少数民族が存在する。そしてそれぞれが、独自の文化や風習、伝統を守りながら暮らしている。

彼らのカラフルな民族衣装や、時に過剰とも思える装飾品などは、旅をしていても目を引くが、中でも私が最も衝撃を受けたのは、長い首を持つ、ロングネック・カレン族(首長族)だった。

テレビなどで見た事がある人も多いだろうが、女性が真鍮のコイルを幾つも首に巻き、首を長く見せている姿は、かなりのインパクトを与える。

元々彼らはミャンマーのシャン州からカヤ州一帯に暮らす少数民族だったが、80年代のミャンマー内戦のあおりを受け、隣国タイに逃れ、北部の山間部に難民として暮らすようになった。

しかしその特異な見かけ故に、タイでは一つの観光資源として、『見せ物』にされている村も少なくないという。タイでの労働を許されない難民にとっても、それが貴重な収入源になっているという、複雑な事情もあるようだ。

私は彼らに会うため、そういった村の一つ、タイはメーホンソン県の、「ファイプーケン村」を訪ねてみることにした。

タイ北部の町、メーホンソンへ

メーホンソンの町は、タイ第二の都市チェンマイから、北西へ390キロほど離れた、ミャンマーとの国境付近にある。山に囲まれた小さな町で、寺院や食べ物など、至る所に隣国ミャンマー(ビルマ)文化の影響が見られる。他の村とは一線を画した、静かで風光明媚な町だ。

私はバンコクで飛行機を乗り継ぎ、チェンマイへ向かった。チェンマイからメーホンソンまではバスで7時間だ。飛行機だと40分ほどで到着するが、そもそも飛行機移動があまり好きではない事と、バックパッカーの沈没地となっている途中の町、パーイを経由するルートに興味があったのだ。

バスは休憩を挟みながら、蛇行する山道をひたすら上っていく。車酔いにやられ、吐きそうになるのを堪えていたため、残念ながら道中を楽しむことは出来なかった。車酔いし易い人がバスで行く場合は、酔い止めを飲んでおくことをおすすめする。

カレン・パドゥン族との対面

メーホンソンから旅行者がアクセスできる首長族の村は数カ所ある。車で行く事が可能な村もあるが、私はあえて一番アクセスし辛いというファイプーケン村へ、ボートで向かった。より観光地化されていない村へ行ってみたかったからだ。

宿の主人に船着き場まで送ってもらい、パーイ川をミャンマー側へ向かって下る。しかしここで一つ誤算があった。訪れたのは雨季真っ盛りの八月。パーイ川の水位はかなり上昇していて、船乗り場は川に沈んでいた。
河岸から船に飛び乗っての出発となったが、増水した川には流木も浮いていて、ぶつかりはしないかと、終始冷や冷やしていた。

40分ほど川を下ると、川岸にボートが寄せられた。首長族の村に着いたようだ。村は想像していたより小さく、船着き場から続く通りの両脇に、高床式の木造住居が並んでいた。そこでは伝統衣装を纏った首長族の女性が機織りをしていて、足元では子どもたちがチャボと戯れていた。

女性の首が長い事を除けば、タイの奥地によくある、普通の村の光景のように思えた。近寄って挨拶すると、女性は笑顔を向けてくれ、記念撮影にも快く応じてくれた。

英語の出来る村人によると、首長族の正式部族名は、「カレン・パドゥン族」だという。首を長くする習慣があるのも、全ての女性ではなく、満月の夜に生まれた女性に限り、毎年真鍮のコイルを一本ずつ増やし、徐々に伸ばしていくのだそうだ。もっとも実際は首が伸びるのではなく、コイルの重さで肩が落ち、首が長く見えているだけなのだが。

村の奥には学校があて、子供たちが授業を受けていた。中には首輪を付けている女の子もいた。私が外から覗いている事に気づいた教師は、私を部屋に招き入れ、授業の手を止めて色々と語り出した。自分はタイからきた先生だということ、子供たちには英語やタイ語を教えていること、そして最後に、難民村であるこの村の窮状を訴えた。

難民村の事情

帰国後調べると、この村の人々は、元は更に国境に近いナンピェンディエンという場所に住んでいたが、ミャンマー軍の急襲により村が焼失したため、現在の場所へ移されたということが分かった。

密林の中の国境には、目に見える形で「国境線」が引かれている訳ではない。ましてやフェンスなどはない。川を遡上してくれば、例え隣国の領地でも、小さな村を焼き払う事などたやすい事なのかもしれない。

村を訪れた後にナンピェンディエンにも行ったのだが、空き地に家が数軒あるだけの奇妙な場所だったので、ボートの操縦士が何故ここに連れて来たのか分からなかった。しかしこれでやっと合点がいった。操縦士は元々あった村の場所を、私に見せたかったのだろう。

エピローグ

私が訪れた難民村は、一見どこにでもある村のように映ったが、実は常に危険にさらされているのだという現状を、肌で感じる事が出来た。観光客の宿泊が禁止されているのも、そういった事情があるからだろう。

軍事政権から民主化へと大きく舵を切った今でも、ミャンマーでは少数民族や異教徒との衝突が続いている。難民村の学校で出会った子供たちは皆、屈託のない笑顔を浮かべながら、自分の夢を語っていた。この子たちの夢が夢で終わらないよう、彼らに自由で明るい未来が来て欲しいと、切に願った。

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