ヒンドゥー教徒の聖地、インドバラナシで見た人々の祈りと願い

カオル


プロローグ

1度旅をすると、「もう2度と行きたくない派」と、「また絶対行きたい派」の、両極端に分かれるというインド。初めてインドを訪れた際は、ハプニングの連続で、もう2度と来るかと思ったが、数えてみればインド訪問は今回で4度目。その魅力にすっかりハマった私は、思いっきり“後者”に属していた。

今回の日程は1週間と短いため、行先はバラナシ(ベナレス)のみ。いつも通り、首都デリーから列車で移動する旅だ。

インドのバラナシとは

バラナシは、インドのウッタルプラデーシュ州バラナシ県の県都で、デリーとコルカタのちょうど中央辺りに位置する。街に流れるガンガー(ガンジス河)の川岸には、幾つものガート(階段状の親水場)が存在し、国内外のヒンドゥー教徒が巡礼に訪れる、ヒンドゥー教の一大聖地となっている。死後ここで焼かれ、遺灰をガンガーに流すことが、ヒンドゥー教徒にとって至上の喜びだという。

そんな信仰の地に滞在し、礼拝の儀式プージャと、彼らの沐浴の姿を見ることを、この旅の目的にかかげた。
バラナシはインドを目指すバックパッカーなら真っ先に訪れる場所であろうが、これまで地方ばかり巡っていた私にとっては、今回が初訪問だ。インドの“王道”をやっと訪れることになり、新鮮な高揚感を感じていた。

鉄道の切符を予約する

ニューデリーの駅では、毎回詐欺師まがいのインド人男性に声をかけられる。初インドの際はすっかり騙され、怪しげな旅行代理店に連れていかれたが、さすがに何度も同じ手にはのらない。余裕の笑みでかわし、駅の2階にある外国人専用の鉄道予約オフィスへむかった。
オフィスは基本的に年中無休で、早朝から夜まで営業しているので、怖い輩に絡まれても、無視して突き進んでほしい。インドでは誰に何を言われても、“自分の目で確かめること”が重要だ。

何度も乗っている寝台列車だが、今回も2等エアコン車(2A)の上段を希望した。1つのコンパートメントの両側に2段ベッドがある2Aでは、計4人が寝られる。上段は窓もなく狭いが、小柄な日本人ならばベッドに胡坐をかいて読書出来るくらいの余裕はある。一人旅であれば安全面からも、上段をすすめる。

オフィスの職員には、「予約した列車はバラナシ駅まではいかない。近くのムガールサライ駅で降り、バラナシまではリクシャを拾え」とアドバイスを受けた。聞くと、目指すバラナシの交差点までは20分程だというので、安心した。ちなみに、現在はインド国鉄IRCTCのホームページなどから鉄道の予約ができる。

出発

駅の構内やホームには相変わらず床に寝転がり、列車を待っている人が大勢いる。インドの駅ではどこでもそうだし、地方では駅外の地面に寝転がっている人すらいる。インド独得の光景だ。

飲料水やスナック類を購入した後、自分の車両を探す。車体に乗客の名前が書かれた紙が貼りだされるので、それを探すのだが、インドの列車は車両数が多いため時間がかかる。列車移動のさいは余裕を持って駅に向かってほしい。

自分の車両でベッドを確認すると、よじ登って荷物をおろす。とりあえずひと安心だ。だが、外国人の一人旅は目立つのか、同乗者達からの視線が集まり、気になって仕方ない。インド人のパーソナルスペースの“狭さ”“なさ”にも慣れないが、インド人のこの至近距離から躊躇なくジロジロと見る体質にも、どうにも慣れないのだった。

こんな時は寝てしまうに限る。貴重品は小さなポーチにまとめ、腹に抱えるようにして壁側に向かって目を閉じる。服類を入れたザックは、チャック毎に施錠し、柱にチェーンでくくりつけた。大袈裟だと思うかもしれないが、以前別の列車でペンと日記帳を盗まれたことがあるのだ。

反対側のサラリーマン風のインド人ですら、ビジネスバッグを足元の鉄柱にくくりつけている。日本では考えられないことだが、これはもう、インドの列車に乗る上でのマナーなのだろう。彼の姿を見て、そう確信した。

バラナシ到着

列車は3時間半遅れでムガールサライの駅に着いた。定刻通りなら朝のはずだが、日はかなり高いところまで上っていた。駅を出ると、リクシャの運転手が数人近寄ってきた。その中で一番ひ弱そうな年配男性のリクシャに乗る。逞しそうな男性や、ふてぶてしそうな顔の男性とは、これまでの経験から言い争いになるケースがほとんどだからだ。

ガンガーを渡り、ガートへのアクセスに便利なゴードウリヤー交差点を目指す。リクシャを降りると、待っていました、とばかりに男達に囲まれた。彼らは、「ガートに案内しよう」「今日の宿はあるのか」などと言い、迫ってくる。
ガンガー沿いには安宿が多いが、これではゆっくり宿探しなどできそうにない。大きなザックを背負い、道端でキョロキョロしている自分が悪かったと反省した。

ガンガーとの対面

一端その場を去り、ガートから離れた場所に宿をとる。ホテルに荷物を置いて、早速散策にいく。手ぶらで歩くと、声を掛けてくる輩はぐんと減った。

ガンガーの岸辺には、80以上のガートが連なっている。その中でも、ほぼ中央に位置するダシャーシュワメードガートが、沐浴する人も多く、船着き場もあるため、ツーリストで最も賑わっている。
船の客引きをかわしながら眺めていると、ガンガーでは沐浴のほかに、洗剤を使って洗濯したり体を洗ったり、歯磨きをする人の姿もあった。この聖なる大河は、完全に人々の生活に溶けこんでいた。

バラナシで観光客の興味をひくのは、ダシャーシュワメードガートのほかにも、その下流にあるマニカル二カーガートだろう。ここはヒンドゥー教徒の火葬場だ。ヒンドゥー教徒にとってここで焼かれ、遺灰をガンガーに流すことで、輪廻から解脱できると信じられているのだ。多い日は一日に100体もの遺体がインド中から運ばれてくるといい、ガートに煙が絶えることはない。

死期を悟った老人が、静かにこの地で焼かれるのを待つ姿もあるという。ガートに続く階段の脇で何をするでもなくうずくまっている数人の老婆を見たが、あるいは彼らはまさに‘その時’を待っていたのかもしれない。

ガートに近づくと遺体が焼かれているのが分かったが、スマホを手にしていたため怒られた。レンズを向ける気など更々なかったのだが、そそくさと退散し、遠くから立ち上る煙を眺めた。

プージャの見学

日が暮れるころ、ヒンドゥー教の礼拝“プージャ”にあわせて、再びガートを訪れる。あぶれた人々は船に乗り、ガンガーから祭壇を見つめている。昼間以上にすごい人出だ。

私は祭壇のすぐ脇に座った。しばらくして5人の背の高い青年があらわれた。祭壇に上がる人物は、カースト制度の最高位といわれるバラモンの中から選ばれる。バラモンは、学問や祭祀を司る特権階級だ。全員が良家の子息で、高い教育を受けてきたのが一目瞭然の、精悍な顔立ちをしたイケメンばかりだ。

彼らは炎のついたロウソクの燭台を掲げ、静かに舞いはじめた。やがて、腕を大きく振りかざしながら、礼拝は佳境へと入っていく。彼らの額には、大粒の汗が光っていた。

儀式が終わると、みんな一斉に帰路につく。幻想的な光景に気分が高揚していた私は、その波からはずれ、ガンガーに近づいた。静寂を取り戻しつつあるガンガーの水面に、月影がゆらゆらと揺らめいていた。

エピローグ

生と死が同居する街、バラナシ。死ぬためにチェックインするホテルすらあるこの街にいると、「死」がとても身近に感じられる。ここで灰になりガンガーへ還った人々は、果たして涅槃の境地に達したのだろうか。

それは、宗教とは無縁の生活を送る私が、理解し得る範疇ではないのかもしれない。しかし、彼らが求める解脱とは、宗教の種類や有無にかかわらず、人類誰もが望む最終目標のようにも思えてならない。
私はここバラナシで、立ち上る白煙を眺めながら、そんなことを考えていた。
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